令和2年度企画展示2
「アーカイブズにみる香川の交通」令和2年度企画展示1
「皇室と香川県 -大正の大嘗祭と昭和・平成の行幸・行啓」
令和2年度企画展示2
「アーカイブズにみる香川の交通」開催期間: 令和2年10月27日~12月27日
展示のチラシ[PDF 869KB]は、こちらからご覧になれます。
今回の展示では明治から現在までの交通の整備を中心に本館所蔵の公文書など記録資料(アーカイブズ)を鉄道、港湾、道路、空港の4つに分け、展示しました。
瀬戸大橋・高松空港・四国横断自動車道の三大プロジェクトが昭和から平成期に完成しました。県内の地域に目を向けると、例えば、かつて峠道であったところに隧道(トンネル)ができることで、2地点間の距離、所要時間が短縮され、人の往来や物流が盛んになっていきました。交通の整備は地域の発展に寄与します。
県内各地域の今は存在しない交通関係構造物の写真や当時を物語る地図なども展示しました。
本館では県公文書と地域資料などの豊かなアーカイブズ群を保存し公開していますのでご覧ください。
<主な展示資料>
(資料1)
(資料1)
汽車内喫茶室の御案内(讃岐鉄道のメニュー表)
(明治35年(1902年)12月)
明治35年(1902年)に食堂車が連結され、女性従業員が登場した。高松~多度津間の運賃は26銭(1銭は現在のおおよそ200円)であった。メニュー表では、ビーフステーキ、ハムサラダなど洋食は一律10銭、食パン6銭、コーヒーが3銭、和洋酒はそれに比して割高で大瓶のビールが25銭、中瓶が17銭、葡萄酒が38銭などとなっている。
(資料2)
(資料2)
軌道廃止に関する香川県と琴平参宮電鉄株式会社との協定
(昭和38年(1963年))
明治43年(1910年)5月20日、讃岐電気軌道株式会社の名前で、丸亀~善通寺間の軌道敷設の特許と一般運輸業の営業許可を取得。琴平参宮電鉄と改称し、大正11年(1922年)10月22日に同区間の営業を開始した。同12年(1923年)8月5日には善通寺~琴平間、同13年(1924年)10月9日には善通寺~多度津間、昭和3年(1928年)3月20日には丸亀~坂出間と、順次、営業区間を拡大してきた。
昭和38年(1963年)の軌道運輸事業廃止にともない、同社から特許状が知事経由で建設大臣に返納された。琴平参宮電鉄は、同38年9月15日に全線廃止された。
(資料3)
(資料3)
四国鉄道発祥の地を示す石碑 多度津町民会館駐車場 〈令和2年撮影〉
(資料4)
(資料4)
坂出港概況 附 坂出港平面図
(昭和23年(1948年))
戦後間もないころの坂出港の地図。市街地の北側には塩田が広がり、坂出駅から臨港鉄道が敷かれている。臨港鉄道は昭和22年(1947年)3月敷設工事着手。同24年(1949年)12月開通。同60年(1985年)10月に廃止された。
坂出港は昭和23年(1948年)1月関税法による開港場、すなわち、貨物の輸出及び輸入並びに外国貿易船の入港及び出港ができる港となった。
(資料5)
(資料5)
香川県港湾管理条例公布
(昭和31年(1956年)3月)
昭和31年3月20日付で香川県知事名で香川県港湾管理条例が公布された。本文及び別表で構成され、別表には高松港港湾施設使用料などが記されている。
(資料6)
(資料6)
香川県高松港務所 昭和2年(1927年)4月5日に起工、9月10日竣工。鉄筋コンクリート3階建て。
〈平成19年(2007年)撮影〉
(資料7)
(資料7)
瀬戸大橋ブームの頃の新航路 丸亀・白石島経由・福山(高速船)チラシ
(昭和63年(1988年)4月以後)
昭和63年4月10日の瀬戸大橋開通後「瀬戸大橋ブーム」として観光船や観光客の利用を見込んでの新しい航路の就航があった。
(資料8)
(資料8)
一級国道十一号線改良工事等の竣功に伴う仮引継ぎ箇所図(坂出)
(昭和28年(1953年)10月)
現在、国土交通大臣が建設・管理を一括して行っている国道は、道路法が施行された当初(昭和27年12月5日施行)は、一級国道と二級国道に分かれていた。一級国道の新設・改良は、高度な技術力を要する場合などには建設大臣が行い、そうでない場合に都道府県知事が行うこととされていた。このため、国が行った一級国道の改良工事等が完了した時点で、その管理を県へ引き継ぐ手続きがとられていた。
(資料9)
(資料9)
一級国道十一号線改良工事等の竣功に伴う仮引継ぎ箇所図(丸亀)
(昭和28年(1953年)10月)
現在、国土交通大臣が建設・管理を一括して行っている国道は、道路法が施行された当初(昭和27年12月5日施行)は、一級国道と二級国道に分かれていた。一級国道の新設・改良は、高度な技術力を要する場合などには建設大臣が行い、そうでない場合に都道府県知事が行うこととされていた。このため、国が行った一級国道の改良工事等が完了した時点で、その管理を県へ引き継ぐ手続きがとられていた。
(資料10)
(資料10)
立石隧道(通称:中村トンネル)
(昭和18年(1948年) 三木町・高松市)
(資料11)
(資料11)
小菅知事引継書 林飛行場建設に伴う道路付替
(昭和20年(1945年)1月)
昭和19年(1944年)1月、陸軍省航空本部から林村に軍用飛行場設置の緊急連絡があった。人家の移転や土地の買収、神社仏閣の移転、道路は飛行場建設地を迂回するなどが行われた。小菅知事から泉知事への事務引継書には、道路付け替え工事の進捗について書かれている。
(資料12)
(資料12)
金子知事事務引継書 林飛行場の利用
(昭和29年(1954年)8月)
米軍から日本政府に返還された高松飛行場(林飛行場)を、今後、飛行場および農地として利用することについて地元住民と県の協議経過等が重要懸案事項として記されている。
(資料13)
(資料13)
香川県主要事業のあらまし 令和2年度
(令和2年(2020年)5月)
昭和期から香川県が推進してきた三大プロジェクト(瀬戸大橋、新高松空港、四国横断自動車道)は平成期に事業が完了し、香川県発行のパンフレットには、県内の交通整備の現況と計画が地図上に表されている。
(資料14)
(資料14)
滑走路跡
全国で1ヵ所と言われた滑走路を横断する県道で、開閉機(遮断機)があったところ。昭和39年(1964年)には開閉器が取り払われ、地下道となったが、空港移転により地下道は埋め戻され、再び道路となった。
令和2年度企画展示1「皇室と香川県 -大正の大嘗祭と昭和・平成の行幸・行啓」開催期間: 令和2年5月22日~8月23日
チラシ [PDF 1,406KB] は、こちらからご覧になれます。
令和元年は5月1日に天皇陛下が即位され、元号は平成から令和へと変わるなど、新しい時代の幕開けの年となりました。令和も2年目を迎えた文書館の夏の企画展は、皇室と香川県のかかわりを、文書館所蔵のアーカイブズからご覧いただきました。
大正の大嘗祭で主基地方に選ばれた香川県。新穀をはじめとするさまざまな品の献納の為に奔走する県民の姿がありました。
また昭和、平成の時代を通じて、天皇皇后両陛下の行幸啓をはじめとする皇室の方々の香川への来県は、多くの県民にとって皇室を身近に感じるよい機会となりました。
そうした皇室と香川県のかかわりを伝える数々の資料を紹介いたしました。
<展示内容>(資料数37件)
① 大正の大嘗祭と香川県: 大正時代の大嘗祭では香川県は主基地方に選ばれ、綾歌郡山田村(現在の綾川町)に主基斎田を決定した。主基斎田からの新穀のほか、様々な献納品の準備に県を挙げて取り組む様子を紹介。
② 香川県への昭和の行幸・行啓: 昭和25年(1950)の行幸や昭和28年、42年の行幸啓と歓迎する県民の姿を当時の記録から紹介。
③ 香川県への平成の行幸・行啓: 平成5年の東四国国体など多くの全国大会が香川で開かれ、それに伴って来県された皇室の方々の姿を、当時作られた記念誌から紹介。
<主な展示資料>(資料はすべて文書館蔵)
(資料1)
(資料1) 「主基斎田記録(すきさいでんきろく)」
大正7年(1918) 香川県
主基斎田の経営について、その事務の完結までの全てがまとめられた記録。大正3年2月5日斎田点定の儀が行われ香川県を主基地方に決定。展示箇所はその際の宮内大臣より香川県知事にあてた令達文で、香川県ではこれを受けて斎田の決定事務を行うも、皇太后の崩御により即位の礼、大嘗祭は翌大正4年に延期された。
(資料2)(資料2)「主基斎田写真帖(すきさいでんしゃしんちょう)」
大正5年(1916) 香川県内務部
主基斎田とその関連施設や関係の人々、田植えから刈取り、精米までの作業風景に加え、机代物米や粟などの準備に努める県内各地の様子を掲載。展示は供納米の輸送場面。斎田より収穫され選別された供納米は、大正4年10月16日早朝山田村を出発、県庁を経由し高松港より海路宇野港へ、宇野駅で鉄道に乗り換え翌17日早朝には京都駅に到着、大嘗祭の行われる御所へ納められた。
(資料3)(資料3)「香川県行幸誌(かがわけんぎょうこうし)」
昭和26年(1951) 香川県
昭和20年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し戦争が終結した。そうしたなか、甚大な被害を出した国内を巡遊し国民を励ますため、昭和21年~29年の間に沖縄県を除くすべての都道府県への巡幸が行われた。香川県へは昭和25年3月13日より5日間にわたる行幸があり、県内各地の視察が行われた。資料はその記録で、行幸の様子と歓迎する県民の姿が見られる。
(資料4)
(資料4)「行幸誌(ぎょうこうし)」
平成6年(1994) 香川県
平成5年に香川・徳島両県で開催された第48回国民体育大会「東四国国体」には、秋季大会開会式への臨席のため行幸の天皇陛下に加え、秋篠宮同妃両殿下、清子内親王殿下、常陸宮同妃両殿下、寛仁親王同妃両殿下がそれぞれ来県された。資料には皇室の方々による、県内各地の視察や国体の各競技をご覧になる様子が収められている。