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デジタル展示室(令和4年度企画展示)


令和4年度企画展示1
「写真で見る郷土香川の風景-昭和40年代~50年代を写す―」

令和4年度ミニ展示
「林町と文書館周辺地域の変遷~高松市立林小学校所蔵 航空写真展~」

令和4年度企画展示3
「アーカイブズにみる香川の交通Ⅲ-計画・整備・地域の変貌-」


令和4年度企画展示1
「写真で見る郷土香川の風景-昭和40年代~50年代を写す―」

郷土香川の風景

開催期間:令和4年6月14日~8月28日

企画展示のチラシ [PDF 1,315KB] は、こちらからご覧になれます。

 令和3年、元香川県職員の安川満俊氏により撮影・収集された写真を中心とする1万点を超える資料群が文書館に寄贈されました。安川満俊氏(昭和9年(1934)~平成28年(2016))は香川県に入庁後、広聴広報課などで主に広報誌の編集作業を行いました。退職後、写真家として活動し、郷土香川の風景の撮影に熱心に取り組みました。
 寄贈された資料には、昭和40年代から平成10年代の香川県全域の風景、風俗、文化財、名所等を記録したフィルムと写真が数多くあります。
 今回の企画展ではそうした安川満俊撮影・収集資料より、安川氏が昭和40年代から50年代の香川県の風景、町並み、祭り、年中行事等を撮影した写真を展示しました。当時の風景を懐かしんでいただくとともに、郷土香川に今も残る風景や年中行事の様子とその変化を知っていただく機会になれば幸いです。


(資料1)
高松東宝会館


(資料1) 
 「高松東宝会館(たかまつとうほうかいかん)」  昭和53年(1978)1月頃

 高松市田町にあった高松東宝会館の写真。高松東宝会館は昭和32年(1957)、東宝関西興行(東京都)が高松東宝と洋画系のスカラ座を併設し、開業した。昭和53年(1978)に新装開館。平成6年(1994)、高松東宝にスカラ座を統合し、スクリーンを増設した。しかし、郊外のシネマコンプレックス開館などの影響で入場者数が減少し、平成16年(2004)4月に閉館した。


(資料2)

津田港



(資料2)
 「津田港(漁船団出港)(つだこう(ぎょせんだんしゅっこう))」  昭和44年(1969)頃

 大川郡津田町(現さぬき市)津田港の写真。歓声に送られて出港する漁船団が写る。当時の津田港は漁業無線局を有する遠洋漁業基地であった。撮影当時の津田港では20数隻が北洋のサケ、三陸沖のサンマ、南洋のマグロ漁に従事し、活躍していた。


(資料3)

滝宮念仏踊り



(資料3)
 「滝宮念仏踊り(たきのみやねんぶつおどり)」  昭和40年代

 綾歌郡綾南町(現綾川町)滝宮天満宮での滝宮念仏踊りの写真。仁和4年(888)、旱魃の時に讃岐の国司であった菅原道真が府中の城山で降雨を祈願したところ、雨が降り、これを喜んで百姓が踊ったのが滝宮念仏踊りのはじまりとされる。毎年8月25日、滝宮天満宮と滝宮神社に奉納される。「ナムアミドーヤ」の念仏に合わせて、陣羽織を着た下知が大うちわをひらめかせながら飛び跳ねるように踊る。



(資料4)

肥土山農村歌舞伎


(資料4)
 「肥土山農村歌舞伎(ひとやまのうそんかぶき)」 昭和52年(1977)頃

 毎年5月3日、小豆郡土庄町肥土山の離宮八幡神社境内で農村歌舞伎が行われる。肥土山農村歌舞伎は貞享3年(1686)、蛙子池の完成を祝って、仮小屋を建てて芝居をしたのがはじまりと言われる。現在の建物は明治33年(1900)に5回目の改築で作られたもの。歌舞伎を演じるのは肥土山地域に暮らす人々。観客はわりご弁当を持って、家族や近隣の人々と舞台を楽しむ。





令和4年度ミニ展示
「林町と文書館周辺地域の変遷~高松市立林小学校所蔵 航空写真展~」

 開催期間:令和4年6月14日~8月28日

 ミニ展示のチラシ [PDF 1,627KB] は、こちらからご覧になれます。

 高松市立林小学校は今年創立130年を迎える歴史ある小学校で、県立文書館の北に位置しています。林小学校では創立80周年の節目の年などに航空写真を撮影しており、そこには文書館の建つ香川インテリジェントパークにかつてあった高松空港など、当時の地域の様子が記録されています。本展では、そうした航空写真を林小学校のご協力により紹介しました。
 林小学校や文書館のある林町とその周辺地域のうつりかわりを同日程で開催の企画展「写真で見る郷土香川の風景」とあわせてご覧ください。
 

(資料1)

林小学校

(資料1) 昭和35年の林小学校周辺

(資料2)

林町

(資料2) 平成3年の林町周辺





令和4年度企画展示3

「アーカイブズにみる香川の交通Ⅲ-計画・整備・地域の変貌-」


香川の交通3

 開催期間:令和4年11月1日~12月11日

 企画展示のチラシ [PDF 1,707KB] は、こちらからご覧になれます。

 「三大プロジェクト」(瀬戸大橋、四国横断自動車道、新高松空港)は、昭和から平成の時代にかけて香川県が推進してきた事業です。これまでの展示でも大規模事業の完成に至る経緯や関連事業等を紹介しました。
この度の展示では、前回に続き「アーカイブズにみる香川の交通」と題して、鉄道・港湾・道路・空港の各事業の計画から整備、その後の地域の変貌を詳しく取り上げました。これら交通体系の整備についての記録資料(アーカイブズ)では、当初の計画案が未実施となっている場合や変更されている場合があります。
 また、県公文書や行政資料だけでなく、当時を物語る写真や地図などの地域資料も併せて展示しました。


(資料1)
  
将来の鉄道動脈

(資料1)
 将来の鉄道動脈=全国新幹線鉄道網 (昭和48年)

 昭和48年(1973)11月の月刊「瀬戸大橋」には、松江から瀬戸大橋を経由して高知へ、大阪から淡路島を経て徳島・香川・愛媛の3県を通り豊予海峡から大分へ至る路線が、新幹線の新計画線として示されている。
 瀬戸大橋架設推進香川県協議会発行の月刊「瀬戸大橋」は、昭和48年4月~昭和63年6月まで168号発行されており、文書館で閲覧が可能である。


(資料2)


瀬戸大橋ルート

(資料2)
 本土-四国連絡瀬戸大橋 ルート(案) (昭和38年)

 3本のルートが示されている。宇野-高松ルートを第1ルート、大槌-小槌ルートを第2ルート、下津井-坂出ルートを第3ルートとしている。


(資料3)

番の州地区

(資料3)
 番ノ州地区臨海工業用土地造成事業(第1期工事)状況写真  (昭和43年 海上から坂出方面を撮影)

 県が事業主体となり昭和39年(1964)4月から昭和51年3月にかけ、番の州地区臨海工業用土地造成事業がなされた。国では水島航路・南北備讃瀬戸航路の浚渫工事を進めており、県ではその浚渫によって発生する土砂を利用して番の州の埋立てを行った。第一期工事と第二期工事のうち第一期工事の状況写真である。埋立てと道路建設と工場立地の3事業が並行して急ピッチで進められていることがわかる。昭和39年には川崎重工業(株)坂出工場が、昭和42年には四国電力(株)坂出発電所および三菱化成工業(株)坂出工場、昭和43年三菱軽金属工業(株)坂出工場が立地した。


(資料4)

番の州地区

(資料4)
 番の州地区臨海工業用土地造成工事計画平面図 (昭和46年)

 この計画図は現在の埋立ての形状とほぼ一致する。
埋立てで陸続きとなった沙弥島の東側が、瀬戸大橋のルートとなり、瀬戸大橋架橋記念博覧会会場(現瀬戸大橋記念公園)となる。

(資料5)

丸亀築港

(資料5)
 愛媛県下讃岐国丸亀築港絵図面(明治10年頃) 〈香川県立文書館蔵松田家収集文書〉

 丸亀港の発展や塩田開発を目的とした盛港舎という組織が発行した一枚摺りの絵図である。福島と新堀湛甫の北側の海を埋立て、十数万坪におよぶ土地造成を行い塩田や宅地を造ろうとする計画である。この絵図通りの計画は実行されなかったが、その後埋立ての形状を変えて、現在の工業団地等に継承されていると考えられる。