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デジタル展示室(令和3年度企画展示)



令和3年度企画展示1
「皇室と香川県 -大正の大嘗祭と昭和・平成の行幸・行啓(再

令和3年度企画展示2
「アーカイブズにみる香川の交通Ⅱ-瀬戸大橋と地域の変貌-」



令和3年度企画展示1
「皇室と香川県 -大正の大嘗祭と昭和・平成の行幸・行啓(再

皇室と香川県(再)



開催期間:令和3年5月11日~6月13日

企画展示のチラシ(表)[PDF 1,157KB]、チラシ(裏)[PDF 1,621KB] は、こちらからご覧になれます。

本展示は、「中国四国地区アーカイブズウィーク」、「国際アーカイブズ週間」への参加事業です。

 令和2年度に開催した「皇室と香川県」展。皇室と香川県のかかわりを、文書館所蔵のアーカイブズからご覧いただきました。
 しかし、感染症拡大防止のため、なかなか多くの方にはご来館いただくことができませんでした。そこで、令和3年度、1か月限定で「(再)」(ふたたび)の「皇室と香川県」展を開催します。
 大正の大嘗祭で西日本で唯一の主基地方となった香川県の姿。また、昭和・平成の天皇皇后両陛下の行幸啓をはじめとする皇室の方々をお迎えした香川県民。そんな皇室と香川県のかかわりを、新しく展示する資料も交えながら紹介します。
 前回ご覧になれなかった方はもちろん、ご覧になった方も、ぜひどうぞ。


<展示内容>
(資料数37件)

①  大正の大嘗祭と香川県: 大正時代の大嘗祭では香川県は主基地方に選ばれ、綾歌郡山田村(現在の綾川町)に主基斎田を決定した。主基斎田からの新穀のほか、様々な献納品の準備に県を挙げて取り組む様子を紹介。

② 香川県への昭和の行幸・行啓: 昭和25年(1950)の行幸や昭和28年、42年の行幸啓のほか、新たに昭和56年の皇太子同妃殿下の行啓に関する資料から、歓迎する県民の姿などを紹介。

③ 香川県への平成の行幸・行啓: 平成5年の東四国国体など多くの全国大会が香川で開かれ、それに伴って来県された皇室の方々の姿を、当時作られた記念誌から紹介。

<主な展示資料>(資料はすべて文書館蔵)

(資料1)

主基斎田記録


(資料1) 
「主基斎田記録(すきさいでんきろく)」 
   大正7年(1918) 香川県
 主基斎田の経営について、その事務の完結までの全てがまとめられた記録。大正3年2月5日斎田点定の儀が行われ香川県を主基地方に決定。展示箇所はその際の宮内大臣より香川県知事にあてた令達文で、香川県ではこれを受けて斎田の決定事務を行うも、皇太后の崩御により即位の礼、大嘗祭は翌大正4年に延期された。


(資料2)
主基斎田写真帖


(資料2)「主基斎田写真帖(すきさいでんしゃしんちょう)」 
   大正5年(1916) 香川県内務部
 主基斎田とその関連施設や関係の人々、田植えから刈取り、精米までの作業風景に加え、机代物米や粟などの準備に努める県内各地の様子を掲載。展示は供納米の輸送場面。斎田より収穫され選別された供納米は、大正4年10月16日早朝山田村を出発、県庁を経由し高松港より海路宇野港へ、宇野駅で鉄道に乗り換え翌17日早朝には京都駅に到着、大嘗祭の行われる御所へ納められた。


(資料3)
香川県行幸誌


(資料3)「香川県行幸誌(かがわけんぎょうこうし)」 
   昭和26年(1951) 香川県
 昭和20年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し戦争が終結した。そうしたなか、甚大な被害を出した国内を巡遊し国民を励ますため、昭和21年~29年の間に沖縄県を除くすべての都道府県への巡幸が行われた。香川県へは昭和25年3月13日より5日間にわたる行幸があり、県内各地の視察が行われた。資料はその記録で、行幸の様子と歓迎する県民の姿が見られる。


(資料4)
行幸誌



(資料4
)「行幸誌(ぎょうこうし)」 
   平成6年(1994) 香川県
 平成5年に香川・徳島両県で開催された第48回国民体育大会「東四国国体」には、秋季大会開会式への臨席のため行幸の天皇陛下に加え、秋篠宮同妃両殿下、清子内親王殿下、常陸宮同妃両殿下、寛仁親王同妃両殿下がそれぞれ来県された。資料には皇室の方々による、県内各地の視察や国体の各競技をご覧になる様子が収められている。


<さらに展示資料がご覧になれます。>

 企画展示「皇室と香川県~大正の大嘗祭と昭和・平成の行幸・行啓(再)」の展示資料をデジタルアーカイブでさらにご覧いただけます。「香川県立文書館所蔵資料データベース」(外部サイトへリンク)へ。



令和3年度企画展示2

「アーカイブズにみる香川の交通Ⅱ-瀬戸大橋と地域の変貌-」


香川の交通2

 開催期間:令和3年10月5日~12月26日

 企画展示のチラシ [PDF 2,942KB] は、こちらからご覧になれます。

 瀬戸大橋、四国横断自動車道、新高松空港は、昭和から平成の時代にかけて香川県が推進してきた「三大プロジェクト」です。これまでの企画展示でも、これら3つの大規模事業が完成に至る経緯や関連事業等を紹介してきました。

 この度の展示では、瀬戸大橋が開通した昭和の終わりから平成の初めの架橋に伴う交通体系の変化や、都市開発整備について詳しく取り上げました。地域の様子が大きく変貌した宇多津町や丸亀市に関する当館所蔵の県公文書や行政資料などの記録資料(アーカイブズ)を紹介し、加えて当時を物語る写真や地図などの地域資料も展示しました。豊かなアーカイブズ群をご覧いただき、懐かしさも感じていただけたかと思います。

(資料1)
瀬戸大橋  瀬戸大橋


瀬戸大橋

(資料1)
 与島の地域開発及び沖三つ子島買収時期に関する覚書        
      昭和49年(1974)2月
 架橋事業での沖三つ子島の買収について与島町連合自治会長、本州四国連絡橋公団第二建設局長、香川県知事、坂出市長の覚書に関する県の公文書。昭和53年(1978)10月に瀬戸大橋の架橋工事が始まり、南備讃瀬戸と北備讃瀬戸大橋のケーブルを支える巨大なアンカーが、南側の沖三つ子(二面(にづら)島)を掘削して建設された。

(資料2)

本四備讃線

(資料2)
 本四備讃線、予讃本線付替工事および関連プロジェクト計画図
 予讃本線宇多津停車場・丸亀停車場間の一部線路移設工事 事業認定申請書
         昭和61年(1986)
 本四備讃線、宇多津駅と丸亀駅間における線路移設工事の事業認定に関する県の公文書。移設前の線路は現在よりも南側の人家密集地を通っていた。人家を避け、塩田跡地を利用するルートが選定された。

(資料3)

新宇多津都市

(資料3)
 歴史と未来の大きな出合い 新宇多津都市誕生へのあゆみ     
         平成3年(1991)11月
 平成3年(1991)の新宇多津都市の写真が掲載されている。昭和63年(1988)3月17日オープンのゴールドタワー。道路をはさんで西側には平成元年(1989)4月1日に善通寺市より移転・開校した香川短期大学がある。空撮写真から新宇多津都市でのビルの建設が進む前の状況がわかる。

(資料4)


経済調査報告書

(資料4)

 本州四国連絡橋経済調査報告書(1)
 フェリー旅客船航路別輸送実態調査報告書(昭和54年6月調査実施)
             昭和54年(1979)12月
 瀬戸内海におけるフェリーや旅客船による輸送の実態を把握することを目的に実施された「航路別輸送実態調査」の集計結果を取りまとめたものである。この調査は、本州四国連絡橋公団の委託により、社団法人日本旅客船協会が運輸省、建設省および調査対象航路事業者の協力を得て、昭和54年(1979)6月21日に実施した。本四を結ぶ117航路と日本国有鉄道の宇高(うこう)、仁(に)堀(ほり)航路の2航路を対象に行われ、航路別目的別利用数などを旅客、貨物、車について調査している。瀬戸大橋開通以前の航路の実態がよくわかる資料である。

(資料5)

架橋記念博覧会

(資料5)
 瀬戸大橋架橋記念博覧会 四国 公式記録
            昭和63年(1988)3月
 財団法人香川県瀬戸大橋架橋記念博覧会協会の主催で行われたこの博覧会は、瀬戸大橋を通る電車が見える坂出市番の州沙弥地区を会場に催された。開催期間中の香川会場の入場者数は、当初の想定入場者数約300万人を上回る350万2131人で、大いに賑わった。