令和7年度企画展示1
「香川を結ぶ、四国とつなぐ
~近代かがわ「道」のアーカイブズ~」
令和7年度企画展示1「香川を結ぶ、四国とつなぐ
~近代かがわ「道」のアーカイブズ~」

開催期間:令和7年6月20日~8月31日
展示チラシ(PDF)はこちらからご覧になれます。
明治時代になり近代国家としての道を歩み始めた日本。そのなかで、人々の行動範囲は大きく広がりました。江戸時代の讃岐に住んだ人々も、藩から香川県、そして四国さらには…とその活躍の場は拡大していきます。
そうした行動範囲の広がりを支えたものの一つが「道」です。今回の県立文書館企画展「香川を結ぶ、四国とつなぐ ~近代かがわ「道」のアーカイブズ~」ではその道、特に「道路」と「鉄道」について文書館所蔵のアーカイブズにより紹介していきます。
あの道にそんな人の関わりが?、香川最初の鉄道は今も残るあの路線だったのか、などご存知の方もそうでない方も、近代かがわ「道」のアーカイブズから、香川の各地が結び付き、さらに四国4県をつなぐ道が生まれた様子の一端をこの展示でご覧いただきます。
(資料1)
(資料1) 「褒状」
「阿波讃岐両国境字大坂山道路改造」経費への寄付金に対する褒状。こうした寄付金が有志者の募金として工事を支えており、なかには財田上ノ村、豊田郡河内村(どちらも現在の三豊市)といった、直接道路改良の恩恵を受けにくいと思われる県西部の人々からの寄附も見られることが興味深い。
(資料2)

(資料2) 「讃岐新道概況」
讃岐新道とは四国新道の讃岐部分の呼び名で、資料はその讃岐新道の建設状況の報告を年賀状の形で送ったもの。発行を担当したのは大久保諶之丞。諶之丞はこうした年賀状を年によっては350通以上送っていたことが、大久保家に遺された資料などからわかる。新道工事で広く協力を仰ぐことが、同時に負担となることを理解していた諶之丞は、こうした報告を丁寧に行うことで人々の理解を得ようとしたのであろう。
(資料3)

(資料3) 「四国鉄道須崎琴平間線路図」
明治25年(1892)に公布された鉄道敷設法を受け、四国でも琴平-須崎(すさき)間、箸蔵(はしくら)-徳島間、丸亀-徳島間の鉄道建設が計画された。資料は明治27年に実施の現地調査で作成された線路図。多度津から猪(いの)ノ鼻(はな)峠越え、高知経由須崎までの路線案を図にしたもので、現在のJR土讃線との類似もあり実際の鉄道建設に影響を与えたことが予想される。
(資料4)

(資料4) 「讃岐遊覧電車御案内」
昭和の香川の鉄道は高松、坂出、丸亀、多度津といった県内の主要都市・港湾と琴平、塩江、屋島などの観光地を結ぶ、一大鉄道網を形成した。屋島、八栗のケーブルカーも建設されたほか、特に琴平では昭和5年(1930)の琴平急行電鉄の開通もあって複数の路線が乗り入れ、4つの駅が立ち並ぶこととなった。