← 文書館利用案内、展示や講座の案内などは、こちらからご覧になれます。
 

デジタル展示室



令和5年度企画展示1
「高松藩を記録する-江戸時代のアーカイブズ-」

令和5年度企画展示2
「アーカイブズにみる香川の交通Ⅳ-港・船・地域間移動-」


令和5年度企画展示1
「高松藩を記録する-江戸時代のアーカイブズ-」

高松藩を記録する

開催期間:令和5年6月17日~9月3日

企画展示のチラシ  [PDF 1,569KB]からご覧になれます。

 香川県立文書館では、県の公文書を移管等により収集し、保存に努めるかたわら、県内各地に残る江戸時代の様々な記録も「江戸時代のアーカイブズ(公文書)」ととらえ、収集に努めています。
 そうした中で昨年度収集した「徳田家文書」、その中の「廻文記」などと題された5点の資料は嘉永4年から明治5年までの約20年間にわたる日々の藩士への通達とそれにまつわる出来事などが記された、幕末の高松藩の記録です。
 本展示では初展示となるこの5点の資料などから、幕末を中心に江戸時代の高松藩に関するアーカイブズを紹介しました。これらの記録に触れ、当時の様子に思いをはせるきっかけとなれば幸いです。

(資料1)
高松藩御令條書抜

(資料1) 「高松藩御令條書抜 合九冊」
 
 寛永16年(1639)から天保6年(1835)の期間に主に高松藩から出された法令などを藩主の治世ごとにまとめたもの。各巻の最後に「徳田宗邦写之」とあり、徳田達蔵(宗邦の通称)が藩の文書を写して編纂したものと考えられている。その編纂の意図は不明ながら、高松藩作成の法令集などが消失した現在において、貴重な江戸時代のアーカイブズである。


(資料2)
廻文并ニ諸事扣



(資料2) 「廻文并ニ諸事扣など5点」
 昨年度収蔵の初展示資料。江戸時代後期に高松藩士となった徳田家に残された5点の資料で、幕末~明治の約20年間の高松藩内の通達や法令などが継続的に記されている。本展示ではこれらの資料から様々なエピソードを抜き出すことで幕末期の高松藩の様子を紹介した。資料1同様に当時の藩政、藩士の管理、藩内の状況などを見ることのできる貴重なアーカイブズでもある。

(資料3)

廻文録 五


(資料3) 「「廻文録 五」より廃城につき、御堀の亀を御林へ御放」 明治4年
 明治以降の厳しい財政下で高松藩では高松城の廃城の許可を得た。資料は廃城で埋められるお堀の亀を栗林公園に移住させるための有志を募ったもので、展示ではほかに廃城の窺い、城内資材の払い下げの為の見学会の開催についての資料を紹介。実際には明治17年(1884)に天守閣が解体されたものの、城の中心部は現在も玉藻公園として人々の憩いの場となっている。

(資料4)

古老物語


(資料4) 「古老物語」
 天保年間ごろに書写により作成されたもので、後半部は香川県史でも紹介された高松藩の職制の説明である「穆公遺事」と同内容。前半部には高松藩内での出来事などが記されており、展示箇所は正保年間(1644~1648)、初代高松藩主の松平頼重が城を由良山へと移転することを検討した記事。藩の大老職について語るための逸話ともみえて城の移転検討の真偽は不明ながら、文書館一帯が高松城下となっていたかもしれない、そんなことを思わせてくれる興味深い記録。




令和5年度企画展示2
「アーカイブズにみる香川の交通Ⅳ-港・船・地域間移動-」

アーカイブズにみる香川の交通Ⅳ


 開催期間:令和5年10月31日~12月17日

 企画展示のチラシ [PDF 911KB] は、こちらからご覧になれます。

 この度の展示では「港・船・地域間移動」を詳しく取り上げます。地域間移動には人と物の移動の両面があります。県公文書や行政資料を中心とした高松港の記録資料(アーカイブズ)の展示では、高松港管理事務所から文書館に移管された文書の中から、昭和期、主に戦後期の公文書を中心に展示し、瀬戸大橋開通以前の港の様子を紹介しました。
 また、文書館が保存する寄贈・寄託文書である多度津港に関する古文書や、粟島港に関する地域資料も展示しました。地域に残る文書や写真、地図などの資料を加えて形成された豊かなアーカイブズ群をご覧いただきました。


(資料1)
高松港管理事務所

(資料1)高松港管理事務所改修等工事 添付の建物図(昭和55年)

(資料2)

高松港管理事務所

(資料2) 解体直前に撮影された高松港管理事務所(平成24年)

(資料1)(資料2)
 高松港管理事務所は、高松港務所として昭和2年4月5日に起工。昭和28年に高松港湾事務所、昭和38年高松港管理事務所に改称され、平成13年5月にサンポートに移転するまで利用されていた。

(資料3)


土地建物賃貸借契約書  土地建物賃貸借契約書

(資料3) 土地建物賃貸借契約書(県有玉藻ビル貸付契約書)(昭和21年)
 第二次世界大戦後の昭和20年11月、連合国軍は香川県内各地に分駐していた。高松港務所契約書から「高松港務所」ビル西隣の県有「玉藻ビル」に連合国軍が入居していたことがわかる。


(資料4)

多度津都市計画図

(資料4)多度津都市計画図(多度津都市計画多度津港臨港地区の指定について 簿冊添付地図)(昭和39年)多度津港
 昭和45年(1970)10月~49年2月の3年半の歳月と総事業費110億円をかけて、臨海工業用地(現東港町・西港町)が完成した。この資料からは、埋め立て前の状況がわかる。


(資料5)

明治期のはがき  明治期のはがき

(資料5) 地域資料 小邦家 明治期のはがき
 戎谷家は長崎で、竹内家と西野家は横浜で、板倉家は小樽で海運業を営んでおり、船主や船長との間の明治期のはがき、佐世保の竹田家と近縁である戎谷家からの大正期の封書、また神戸市のキリン堂の広告と、そこで小邦家が購入した昭和2年(1927)の勘定書が残されている。この頃小邦家は雑貨商を営んでいた。

(資料6)

?昌雑記  ?昌雑記

(資料6)琴平 多度津 丸亀 阪出 繁昌雑記(昭和29年)【松田家収集文書】
 「多度津繁昌雑記」には、商業略記の最初に西浜町の萬問屋として「かつまや」の名が記されている。萬問屋は、諸地域からの多種類の商品を一手に取扱い、販売を委託されて各商品をそれぞれ専門の問屋、仲買へと売りさばき、口銭を取った荷受問屋であった。「かつまや」とは森家の経営する「勝間屋」のことである。元々勝間屋は庄内半島の箱浦で北前船などの海運業を営んでいて、多度津にも進出した。